このブログを訪れてくださった方に、自己紹介です。

生い立ち

私は昭和40年代に農業と家業を営んでいる家に生まれ、都内の高校・大学を卒業しました。
小さい頃から喘息があり、よく発作が出て、スポーツ全般が不得意でした。農業や商売をやっていると、なかなか家族で旅行に行くこともなく、初めて新幹線に乗ったのが中学三年生の修学旅行の時、初めて飛行機に乗ったのが大学四年生の卒業旅行の時で、いつの頃からか自分の世界を広げたいなと思うようになっていました。

経歴

多少バブルの雰囲気が残った中で就職活動をして、日本企業に入社し、3年間働きました。その会社の最終面接では海外で働けるよう交渉して入社したつもりでしたし、希望も海外に繋がるような部署で出しましたが、配属されたのは全く違う部署。その会社で2年半が経つ頃、もっと成長をしたいと考えて、外資系戦略コンサルティング会社に絞って転職活動をしました。この転職活動がうまく行かなかったら、働いている日本企業で頑張るしかないと覚悟を決めて転職活動を開始したのを憶えています。

幸いなことに転職活動は成功し、外資系戦略コンサルティング会社で経験を積むことができました。しかしコンサルタントとして一生懸命働いてみて、プロジェクトベースで常に新しいことに挑み続けるよりも、事業会社で戦略立案から実行まで腰を据えてできる仕事をしたいと思うようになり、いくつかの事業会社で働きました。現在は外資系企業で、日本支社長にレポートする部門長として大きなチームを率いています。

現実

外資系コンサルティング会社でのコンサルタント経験や、事業会社での経営層として働けることは、自分の世界を広げるという希望を実現できたと思います。ただ実際のところは、経歴ほどカッコ良いものではなく、挑戦の連続です。コンサルティング会社では、鬱病にこそならなかったですが、横断歩道でこのまま車にはねられたら、資料を出さなくて良いなと頻繁に想像しました(ほぼ鬱病ですよね)。事業会社では、マネージャーに昇進した後、なかなかチームマネジメントをさせてもらえませんでした。自分自身の課題を克服してチームを率いることができるようになったら、今度は社内政治に足を引っ張られるようなこともしばしば。今もナイーブな田舎者の自分が心の中に住んでいます。

仕事観の著しい変化

就職/転職活動を振り返ったとき、環境変化はとてつもなく大きいです。

1990年代の就職活動は、企業に資料請求や応募を郵便で発送していました。転職活動を開始したときは、日本経済新聞の日曜版に企業が人材募集の広告を出しており、それを見て応募するのが当たり前でした。終身雇用を多くの人が信じており、会社のピラミッドの階段を上がっていくのは新卒で入社した人材から選ばれるという雰囲気がありました。

2000年代に外資系戦略コンサルティング会社から事業会社に転職するときには、信頼できる先輩からいくつかの転職エージェントを紹介してもらい、転職活動を行いました。でもその時を振り返っても、人づての紹介が中心で、転職は勇気の必要なことだったと思います。

2010年代に転職活動を行ったときには、状況が一変していました。転職サイトが沢山立ち上がっており、転職も身近になってきたと思います。また最近外資系企業では、人事部にエージェントから転職してきたTalent Acquisitionという役割の人が居り、転職サイト等を活用して候補者に直接声をかけるまで転職市場は進化しています。

ここで書いていきたいこと

田舎者でナイーブな少年が試行錯誤してきたことは、皆さんが知りたいサンプルかも知れないと思っています。私が若い人と腹を割って話した内容について、感謝されることもあり、もっと多くの人にも届けられたらうれしいです。組織にピラミッドがあるのなら、下から見ても見えない景色や、そもそも若い皆さんに共有されない情報をお伝えできたらと思います。その情報というのは、自分がもっと早く知っていたら近道できたと思えるような項目に絞り、子供や家族に伝えるような内容にしたいと思います。

また同年代や先輩にも参考にしてもらえたらうれしいです。突如として会社の方針が変わり、途方に暮れる人が出てこないような助けに成れたら最高です。

自己紹介を最後まで読んでいただきありがとうございます。是非とも参考にしてください

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